習慣化へ

経済学の考え方を別の分野に活用しようという動きがあるそうです。
先日、vooxというレクチャー方式でいろんな知見を学べるサービスで、教育経済学という分野があることを知りました。

その中で、ある実験のことが紹介されていました。
大学生対象に、スポーツジムに通うようにお願いした大学生を二つのグループに分け、一方には、スポーツジムに行くたびにお小遣いをもらえるグループ、もう一方は何も貰えないグループ。
それを10週間続けたそうです。
実験が終わった後、スポーツジムに通い続けるのは、お小遣いをもらったグループの学生が多かったそうです。
お小遣いがインセンティブになり、コツコツとスポーツジムに通った。

この実験結果から得られた結論は、10週間続けると習慣化できるのではないか、というものだったそうです。

で、私は、何もお小遣いはもらっていませんが、JavaScriptやAlexaSkill、それと併せて、毎朝の散歩をやろうと決めたのですが、今日で約9週目です。
散歩は30分、お勉強は平均して一日3時間半程度。

続いています、続いています。
あと1週間継続できれば習慣化できるのではないか、と期待しています。

朝、30分早起きすると、始めた頃は体がきつかったのですが、今ではそんなにきつく感じません。
一日3時間半の時間を取ることは、他の自分の時間を削ることになり、当初はやはり精神的にきつかったのですが、今ではそれほどでもなくなりました。

さあ、目指せ!Alexa-IoTエンジニア!
さあ、目指せ!シニアと若者を結ぶサンタクロース!

ブロックチェーンを活用した資格証明

今日は、介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格更新の研修最終日でした。
研修が終わった後、研修終了証明書が発行されました。
受け取ったこの証明書をコピーして、役場に提出したり、職場に届け出たりすることになるでしょう。

とても面白いタイミングで、2019年に合格したG検定の資格証明バッチがメールで届きました。
このバッチは、ブロックチェーンを利用した証明書だそうです。

ブロックチェーンは、仮想通貨などで有名ですが、実は仮想通貨だけではありません。
詳しい仕組みについては、明るくないのですが、改竄がほぼ不可能だそうです。
ビットコインもいろんな問題があったようですが、ビットコイン自体改竄されたことは一度も無いそうです。
コインがなくなった、というニュースをよく耳にしますが、ビットコインの仕組みの問題ではなく、その他の要因で問題が発生しているようなのです。

さすが、ディープラーニング協会、デジタル化への対応には驚かされます。
ブロックチェーンを活用した資格証明という仕組みがあるんだ、と1つ勉強になりました。

このバッチを使えば、紙の証明書をコピーすることは不要で、アドレスを相手側に送れば確認できるそうです、
受け取った方も、改竄が不可能な仕組みなので、発行元にわざわざ信憑を確認する必要はなさそうです。
証明書の管理も楽になります。紙を大事に保管しておくのではなく、ネット上にありますのでネット環境さえあれば、いつでもどこでも確認することができます。
私のように、捜し物が多い人にとっては、それはそれなありがたい仕組みです。

かたや、紙ベースで管理して、紙で提出し、また、信憑を確認し・・・などの手間(コスト)がかかる。
かたや、デジタルを活用して、今までの手間から解放される。

どちらが利便性がたかいのでしょうね?

岡目八目

私が勤務している介護施設に、デイサービスというものがあります。
介護が必要な高齢者が通ってくる所です。
囲碁をやっていた人が結構多いようです。

囲碁の言葉で「岡目八目」というものがあります。「傍目八目」とも書きます。
つまり、傍らで見ているひとは、囲碁を打っている当人ではわからないような8手先までわかる、というものです。

私は、ケアマネジャーという介護の調整や相談にのる仕事をしていますが、
高齢の方々には、その生活背景に重層的な問題を抱えている人たちも多くいます。

私の職場のケアマネジャーが、結構複雑な課題をもった高齢者の担当をしていました。
私や、別のベテラン職員が話を聞きながら、今後の対応を一緒に考えていました。

いろいろなアイデアが出てきたのですが、当の担当者は「どうして、私が思いもつかないような方法が次から次へとでてくるのか?」とびっくりしていました。
そこで、私は「岡目八目」の話をしましたところ、「なぁ~るほど」と納得されたようです。

別の人の話。
職場で定期的に発行している新聞があるのですが、記事を書く順番が回ってきた職員から「どんなことを書こうか?」と相談をうけました。
私は、思いつくまま4~5の提案をしたのですが、その人も「よく、ポンポンと記事のネタを思いつくものだなぁ」と言われました。

これも、「岡目八目」
自分が記事を書く段階になると、なかなかネタが浮かんできません。
無責任な心持ちで、リラックスしていると、いろいろなアイデアが浮かんでくるものです。

無責任にポンポンと思いつくことができる立ち位置の人は、ある意味とても重要なのかもしれません。
責任をもって、どっぷりつかって取り組まなければならない立場の人は、当然、無くてはならないのですが、傍らで無責任でいいからアイデアを出してくれる人も貴重なのでしょう。
そういえば、シェイクスピアに出てくる「道化」も、当事者ではないのですが傍らで8手先までしっかり見通しているようです。

いま、アレクサスキル開発に取り組んでいるのですが、一通り、基礎的なところは通過したようですが、さぁ、これからどのように進んでいくべきか、計画を作らなければなりません。

8手先まで見通せる無責任な傍観者が、私の横にいてくれたらいいのになぁ!

いないのであれば、まずは、、リラックス・リラックス。そして、ちょっと離れて、無責任な視点から自分がやっていることを覗いてみてみようか!

Alexaエンジニアの卵誕生

AlexaのSkillを作ってみようと思い立って、もうそろそろ2ヶ月が経とうとしています。
JavaScriptの文法やら、Alexaを動かしているシステムと簡単に意思疎通ができる道具の使い方なんかを学んできましたが、
まだまだ、自分が思うように使いこなすことができず、「練習でこんなSkillを作りたい」と思っても、
Alexa君(もしかしたら「ちゃん」)は、上手に応えてくれません。「エラーです」「エラーです」「エラーです」の言葉が洪水のように僕めがけて迫ってきます。

それでも、大きな夢を追いたくて、日々格闘しているところです。

僕ひとりではどうにもできないことがあるので、その道のプロに思いをぶつけています。
僕の周囲にいる「プロ」はとても温かい人たちばかりで、僕の話に正面から向き合って聞いてくれます。

あるエンジニアさんは、「新しいプロジェクトが始まるごとに、わからない事柄に直面するので、調べながら、勉強しながら取り組んでいるのよ。」
AI技術者は「想定していた計画と現実の環境との間にはいろんな障害があり、計画を立てるより現実に立ちはだかる障害を解決する方が大変だよ。」
と、実体験をとおしたとても貴重な話を聞かせてくれます。

そのような貴重なアドバイスを聞けるのはとても幸せな事だと思います。

さらに、インターネットを検索すると、プログラム開発についてのいろんな記事が載っています。
ある記事に、とても印象にのこるものがありました。
「これからエンジニアを目指そうという人は、学校に行きたがる。学校では先生がいろいろ教えてくれるので、スムーズに事は進む。でも、実際にエンジニアのチームに入ると学校のようには丁寧に教えてくれる人などどこにもいない。チームメンバーはそれぞれ自分のワークや課題を抱えているので、手取り足取り教えてくれることを期待してはいけない。
それでは、どうするか?
ここでものを言うのが『独学力』だ。独学ができる人は伸びていくし、できない人は取り残されていく。だから、学校にいくのもいいだろうが、独学できる力を身につけることが、具体的な技術を身につけるより優先順位は高いものだ。」といった内容でした。

この記事を頭にのこしながら、先ほどのエンジニアさんやAI技術者の貴重な体験談を咀嚼してみると、
両者に共通しているのは、「自分で汗を流して課題を解決している」という姿勢でしょう。

ここで、心理学で言う「リフレーミング」という手法を活用してみよう、と思い立ちました。
「エラーです」「エラーです」「エラーです」は、Alexaからの大切なメッセージなのかもしれない。
それは、
「自分で解決する力を身につけて」「自分で解決する力を身につけて」「自分で解決する力を身につけて」と僕を励まして言っているのかもしれません。

「自分で解決する」といっても、独学は孤学とは全く違う。
エンジニアさんやAI技術者、それからネットの記事、教科書など、僕よりもはるか先を走って、僕よりも深い経験と知識と技術を持っている人の力を借りるのも独学を続け行く技術なのでしょう。

ただ、与えられるのを待つのではだめなんだろう。自分で壁にぶつかって、もがきながら先人や先輩(このときの先輩は、年齢は 関係ないよね。自分が未知の分野で、その道を先に歩いている人は、たとえ子どもであっても先輩なのだ)の知恵を借りることが肝要なんだろう。

そんなこを考えながら、「そうだ!僕が作ろうとしているSkillコードなんてあるわけないじゃん!先輩方がつくったコードの部分部分をつなぎ合わせれば、もしかしたら、僕オリジナルのSkillができるかもしれない!そうだ、そうだ!それも独学だ!」と勝手に決意して、Alexaの別のSkillのサンプルコードの一部や、先輩方がつくった他のコードの一部をインターネットから拝借して、ツギハギ、ツギハギ。
そうすると、「なーるほど!このコードの考え方を、僕のコードのここに応用すれば、もしかしたらできるかもしれない!」と、キーボードに向き合いながら、カタカタ、カタカタ。

どうでしょう!Alexaから「エラーです」という応答がきえました!おそるおそるAlexaに語りかけると、僕が思ったとおりの応答をしてくれました。

基本的な動きは出来上がったので、これからは、Alexaがしゃべる応答の言葉を磨いて、その他、必要な準備を行って、いよいよ公開に向けての審査の準備に入ります。

ここに一人、ちっぽけなAlexaエンジニアの卵が、産声を上げようとしています。

ただし、

勉強したのだといいたまえ!

この前、Alexa skillの開発で「初歩的なことも覚えていない」と書きましたが、実は、初歩ではなかったようです。

あるコードがあり「このコードはこうゆー役割です」とチュートリアルでは説明されていたのですが、なんと、他にも大事な役割があったのです。それを知らずに「このコードは今のところいらないや!」と勝手に判断してコメントアウトしてしまったものですから、思うように動いてくれなかったようです。

原因を突き止めて改善した(コメントアウトを外した)ところ、ちゃんと動いてくれました。

チュートリアルで聞いた役割より、試行錯誤しながら見つけた役割の方が強く記憶に残っていく予感があります。

人は、失敗しながら学んでいくものだなぁ!と改めて考えさせられた出来事でした。

デザイン思考では、「できるだけ早く、できるだけ多く失敗をしたほうがいい」と言われています。
そもそも、失敗は失敗ではなく、学習の機会と捉えているのです。

そういえば、エジソンもこんなことを言っていたそうですね。
「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。」
「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」
と。

独りでコツコツやっていると、当然うまくいかないことも数多くあることでしょう。
いちいち凹んでいるのではなく、「やったー!新な勉強の機会ができた」と喜べるようなメンタルを作っていきたいと思います。

Alexaと付き合うことは技術的なことだけではなく、多くのことを学べる機会なのかも知れません。

異常は正常

名言(迷言)
1.「テニスコートは、入れるには狭すぎるが、守るには広すぎる。」
2.「異常は正常」
まず、1については、わたしのテニス仲間が、疲れ切った顔で、ボソッとぼやいた言葉です。
アマチュアがテニスをすると、相手のコートにはなかなかボールが入りません。ほんとに狭いなと思いますが、さて、自分が守る場合、自分のコートはあまりにも広すぎて、ボールに追いつかないのです。
相手も、同じことを考えているのかも知れません。
相手のコートも私のコートも条件は全く同じなのに、目的が変われば、感じる印象も全く違うものになってしまうのですね。
世の中、なかなかうまくいかないことがありますが、「入れるには狭すぎるが、守るには広すぎる」という言葉は、なかなか味のある言葉だと思いました。

2.についても、別のテニス仲間が、ぼやいていました。一緒にテニスをやっている仲間には、学生の時にテニスをやっていた人や、もう何十年も続けている人、年をとってから始めた人など様々です。わたしは、年をとってから始めたクチですから、若い時からやっていた人には、全く敵いません。2の名言を吐いた人は、結構若いのですが、もともと、硬式テニスの経験がなく、中学の時軟式テニスをやっていて、10年のブランクがあり硬式に転向した人です。

長年硬式テニスをしている人は、フォームも綺麗ですし、いろいろなテクニックも持っています。
わたしや、件の彼は、真似しようとしてもなかなか真似できるものではありません。

件の彼曰く「上手な人が正常とすれば、僕たちは、異常なのです。当たり前でしょう、下手くそなのだから。正常になるまでは、異常なところを矯正していかなければならない。だから、下手くそな自分達のテニスが異常なのは、正常なことなのだよ」と。

今日、AlexaのSkillを作っていて、なかなかうまく進みませんでした。もうマスターした、と思っていたところで躓いて、大きく自信喪失です。今まで、何を学んできたのだろう!と結構落ち込んだ状態でテニスに行きました。

すると、グッドタイミングで、2の「異常なのは正常」という言葉が、僕にとっての大きな励ましになりました。

正常にAlexaが動いてくれないのは、コードが異常だからです。
でも、コーディングの勉強を初めて、間もなくしかも教えてくれる先生もいない状態で、五里霧中で進んでいます。なかなか上達しなくても致し方ないのかなぁ、と思います。

だから、Alexaがうまく動いてくれなくても、テニスと同じように中途で始めた僕にとっては、すんなり正常に動くことが異常なことであって、異常があり正常に動いてくれない状態が正常な状態なのかも知れません。

少しずつ、牛の歩よろしく、異常から少しずつ正常に近づいていければいいなぁ、と思います。

でも、もしかしたら、世の中に「これがゴール。もう先に進む必要はなくなった」と思えることはないのかも知れません。
であれば、いつまで経っても正常には届かず、異常が正常な状態なのかも知れないなぁ、と思いました。

昭和はいつ終わる?

毎日、毎日、少しずつですが、コーディングを続けています。
JavaScriptからはじまりHTML,CSSそしてSQLと進んでいます(まだまだ、基本中の基本の段階ですが)
で、やっと、Node.jsにすすみました。
フレームワークを用いて、「WebSiteを作ってみよ~」っていうようなレッスンです。

さて、そのなかで、「何度も同じ記述をすることを避ける方法を考えましょう。」という考え方があるのを知りました。
DRYの原則(Don”t repeat yourself)というのだそうです。

プログラミングの世界とは違いますが、現在の行政サービスについて。
私は仕事柄、介護保険に関する行政サービスへの申請書類をよく書きます。

1つの申請を完了させるために、同じ事を4~5つの書類に記入しなければならないこともあります。
また、行政機関の委託先に報告を出すに当たっても、A委託先にはAの書類を、B委託先にはBの書類を、といった具合です。
記入する内容には大きな違いは無いのですが、それぞれの書式が違うものですから、自分が管理しているPCや書類から必要な項目を拾い上げて、それぞれ違う書式に転記しなければならないのです。

DRY(何度も同じ記述をすることを避ける方法を考えましょう。)という考え方とは、遠い、遠い世界のようです。
世の中では「DX(デジタルトランスフォーメーション)」が盛んに言われていますが、どこか遠い国で行われているのかのようです。
例えば、書式を統一したり、必要な書類が複数あるのであれば、機械の力で管理しているPCに必要事項を入力すれば、自動的に転記されるような仕組みがあれば、かなり効率的になるのではないかな、と思います。

それには、全体を管理するシステムエンジニア的な存在が必要なのかもしれません。
縦割りで進んでいるところに、横串を一本刺すような役回りがなければ、これからも個々ばらばらに行われ行われ、ますます非効率さが肥大化していくように思えてなりません。

デジタルトランスメーションは、アナログからデジタルにただ単に平行移動するのではなく、業務でデザインの根幹にまで目を配らなければならないのだと思います。

「どこかの遠い遠い国で起こっているDX」という感覚から、いつになったら身近な出来事として実感できるようになるのでしょう。
印鑑が押してある書類に間違いがあり、印鑑が押してある書類の差し替えのため、はるばる10数㎞、たった一枚の書類を運ぶこともあります。
昭和の発想が、そのまま平成に生き残ってしまい、令和が始まってもう2年が経つというのに、まだまだ昭和の発想が綿々と続いているように思われます。

緊急事態宣言の解除後からは・・・

10月から、我が県でも緊急事態が解除されました。
それに伴って、封鎖されていた公営テニスコートも使えるようになりました。

そんなわけで、今日は、久しぶりのテニスです。

外は、絶好の秋晴れ。雲ひとつない空模様です。でも、気温が高い。30℃近くあります。
それでも、湿度は45%と、カラッとした天気です。
熱中症に気をつけながら、テニスをしてきます。

コロナワクチンの接種も進んで、わたしの周りの人の多くも、「もう2回目打ったもんね」と言っています。
今までの緊急事態宣言解除と違い、より「ウィズ・コロナ」の色彩が強くなっていくようです。

ということは、コロナと共存する生活がはじまるのでしょう。

そのような中、遅ればせながら「ブラックスワン」を著した作家さんが「反脆弱性」という本も書いていることを知りました。
とても興味があって、今度購入して、読んでみようと思っています。

ネットで前調べしたところ、「反脆弱性」とは、『「なんらかのストレスや圧力により、かえってパフォーマンスが向上する性質』」といったことらしいです。

わたしの職場に、「ストレス」を餌にしながら生活しているような人がいます。ストレスや圧力がかかると、それを利用して、グングンと前に進んでいくような人です。

決して、ストレスを予測しているわけでもありませんし、平気な顔をして過ごしているわけでもありません。
ストレスや圧力がかかると、それはそれはとても悩んでいるようですし、時には「もう立ち直れないんじゃないか」と思うくらい落ち込んだりもします。でも、そのストレスや圧力をくぐり抜けた後は、その前よりパワフルに、そしてリレラシーも向上しているようなのです。

脆弱性の反対語と思われがちな、「頑強さ」とはちょっと違うようなのです。
ストレスに対して、耐える力が強くそれを跳ね除けるような人ではなく、まさにストレスを喰らって自分の栄養にしているようなのです。

これから先、ウィズ・コロナになっていくと、単にコロナというストレスに耐え忍んで、ストレスが去るまで強いシールドを張って過ぎ去るのを待つのではなく、大きな変化の局面にあって、ストレスや圧力を餌にして新しい体を作っていく、という生き方がもしかしたら「頑強さ」よりも強い生き方なのかもしれません。

そんなわけで、生きた「反脆弱性」を身に付けている人から学びながら、そして、「反脆弱性」という概念をもう少し深く理解して、いわゆる「臨床と理論」という両軸を持って、わたしも「ストレスや圧力を餌にしてやるぞ」くらいの気概を持って、これからの変化を乗り切っていきたいなあ、と思います。

わたしの近くにそのような「生きた反脆弱性」がいてくれることに感謝しつつ・・・