そのうち そのうち

我が家は、私、妻、長男、次男の4人家族です。
長男は家を離れ一人暮らしをしながら仕事をしています。
次男はまだ学生ですが、神奈川県の友人の家に転がり込み、就職活動やら、コンピュータの勉強やらやっているようです。

子どもが小さい時は、除夜の鐘をつき、その足で初詣、初日の出を見に行ったりして、よく出かけたものです。

お正月の日中も三社参りを行い、かなりの距離を車で移動していました。

子どもたちが大きくなったら、喜び勇んでお出かけする機会もめっきり少なくなり、年末年始も例外ではありません。

近くのお宮に初詣に行くくらいの行動量です。

で、年末年始は、かねてからやろうとおもっていた「Raspbery pi」を使った電子工作とそれをAWSで管理する仕組みのお勉強をしていました。

わからないことばかりから始めましたが、少しずつ(例えばLinuxの操作をする簡単なコマンド(cd sudo shutdown位しかすぐに思いつかない状態ではありますが))も使えるようになりました。

Raspbery Piは、CUIメインではなくGUIメインで操作しています。

AWSも、チュートリアルを何回も何回も行いながら、やっている内容の意味を理解しようと努めています。

昨年、相田みつを展にいき、毎月使える日めくりカレンダーをトイレにぶら下げています。
私の好きなことばは、「そのうち そのうち べんかいしながら 日がくれる」という、まさに僕を甘やかしてくれるような言葉です。

トイレのカレンダーで心にとまったのは
「ナノネ がんばんなくてもいいからさ 具体的に動くことだね」というものです。

テクノロジーが発展して、人工知能(AI)やら、5GやらIoTやらの言葉をよく耳にするようになって、「高齢者には福祉ではなくテクノロジーを」というスローガンで研究をしている教授もいるようです。

高齢者関係の仕事をしていて、現実のテクノロジーと現場で行われている業務との乖離は、それはそれは甚だしい限りです。
人海戦術とペーパーワーク。ネットではなくファックス。デジタル化しているモノをわざわざアナログ化して、アナログで内容を修正して、またデジタル化するといった「機械の中を開いてみたら人が入って仕事をしていた」ような状況です。

高齢社会を過ごしていくためには、どうしてもテクノロジーを使わなければ回っていかないのは、火を見るよりも明らかです。それにも関わらず、アナログで対処していこうとする流れはなかなか変わらないようです。

観念的にテクノロジーを理解していくと、どうしても観念論に陥りやすくなるのではないか、と思います。観念的に考えていけばある意味、一足飛びに飛躍もできるでしょうが、それは「絵に描いた餅」。何にも実用化出来ないように思い始めました。

「具体的にうごくことだね」の言葉をたよりに、ボードコンピューターやらクラウドやらを操作している次第です。
具体的に動き出すとなると飛躍はできない。一歩一歩、牛のように進むしか手がないのです。
具体的な技術を身につけ、未来を妄想する力を身につけることで、具体的に飛躍できる日も来るのかもしれないし、それこそ本物の力でなないかなぁ。

私の場合、「牛歩」でななく、「蝸牛歩」のような遅さです。いつ飛躍できるか、全く心許ない状況です。
そんなこんなを考えていると、「そのうち そのうち べんかいしながら 日がくれる」が、とても心に染み入ってきます。
妄想に遊んでいるあいだは私を慰めてくれる優しい言葉であると同時に、妄想から現実に目を向けてみると、とても厳しい言葉でもあるのです。

優しい言葉に甘えるのか、厳しい言葉に立ち向かうのか、
それは、だれでもない、「私」が決めることなのです。

一歩一歩成長し、そして家を離れた子どもたちを思いながら・・・

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